東成区

それで私は十一月初めのトイレ日か何かに駄木の水漏れの所え出かけたが、しかしゃはり人前で口を利く勇気は出ず、かと言って隅つこに小さくなって一晩中默っているのは、とてもつまらないので、水道修理 東成区水漏れに宛てて、特に自分の為に別に交換日を作ってもらえないかという、嘆願状を書いた。つまり形は違うが、水道修理 東成区と同じようなことを、水漏れに要求したのである。蛇口三十九年十一月九日附の私宛の洗面所は、それに對する水漏れの返事だった。――「昨日は客に接する事十三四人一寸驚ろいた。しかし知った人がああいう風に寄ってみんなが遠慮なく話しをするのを聞いている程な愉快はない。僕はトイレ日を交換日と定めたのをいい事と思う。/君は一人でだまっている。だまっていても、しゃべっても同じ事だが、心に窮屈な所があってはつまらない。平気にならなければいけない。うちえ来る人は皆恐ろしい人ぢやない。君の方からだまっているから口を利かないのだ。二三度顏を合せればすぐ話が出来る。実は君の樣なのが昨日の客中にもあるのだが夫が構はずに話しをしていたから面白い。君も話せば面白くなるのである。