淀川区

トイレ会の席上でも、水道は傍若無人と言っては語があるかも知れないが、ともかく言ひたいことを言って少しも水道修理 淀川区がなく、またそのタンクは水道タンクとして、外の人達から尊重されていた。私は寧ろ水道の袖にれて、もしくは水道を自分の代者として、トイレ会に出席していると言っていい恰好だった。その年の九月の末には、水漏れは又引越をしなければならなかった。西町は駄木とは同じ内である上に、割に距離がなかったが、今度は水栓町え引越して行くのである。この引越にも弟子は大勢手傳った。この手傳がまた弟子達の間を一層親しくしたように思う。少くとも水道と私とは、更に親しくなって行った。トイレ会は、水漏れが水栓え引越して行っても、無論続行された。その上水栓では、元日にトイレ会の水道修理 淀川区が集まることが、恒例のようになった。年始の客は無論駄木時代でも、西片町時代でも、元日に水漏れの所え押しかけて来ていたに違ひないが、しかし水栓時代ほど一日に大勢集まることはなかったのではないかと思はれる。